日本の教会の現状


  イエスのガリラヤ伝道以来、今迄に全人類の約7割の人々に福音が伝わり、そのためにおよそ7400万人が殉教したと言われています。現在238ヶ国、約13億人のクリスチャンが存在しており、南米、中国、インドでは初代教会時代を彷彿とさせるリバイバルが起こっています。

  今、毎日7万人近い人々が救われ、今でも毎年約16万人の霊の戦士達が殉教しています。1970年には世界に10しかなかったメガチャーチは、今では約650存在し、ウガンダやフィジー等、国全体を神に捧げる国が登場しました。2000年間にわたる教会時代は、今やラストスパートに入っているのです。

  そのような教会時代の只中にあって、世界には未だ福音が伝えられていない約60の“アンリーチドカントリー”が存在しています。そのほとんどは、共産国とイスラム教圏ですが、その中に、宗教も思想も自由な先進国、誰もが教会で結婚式を挙げ、神学校もある日本がその一つに数えられています。ある著名な心理学者がこう語りました。「日本は非常に病んでいる。しかし、我々は答えを持っていない」と。

  日本の交通事故による年間死亡者約1万人に対して、自殺者は年間3万人以上。未遂や、メディアに掲載されなかったものを含めますと、おそらくその数は十倍近いと思われます。自殺による遺児は、交通事故の5倍。日本では、毎日100人以上の人が自殺し、1万人の殺人(胎児殺害は年間300‐500万人/毎日7秒間に一人が堕胎/4人妊娠して3人が中絶)が行われています。これは届け出のない類推ですが、この殺人はどの戦争の犠牲者よりも多いことは確かです。

  現代は、生命の操作や管理(精子銀行/お金で生命を買う)が、何の罪悪感もなく行われている人類史上、嘗てなく荒廃した時代です。このような現在日本中にはびこる様々な深刻な問題に対して、唯一答えを知っているのは教会だけであるはずにも係わらず、一般に人々が教会に対して抱いているイメージは、未だ3K(固い-暗い-厳しい)のままです。

  日本のキリスト教会、とりわけプロテスタン教会はリバイバルを目指して、日夜伝道に励んでいるものの、その結果は日本にあるプロテスタント教会の数は、伝道所等を含め、全国に約7800(17000人に一つの教会)。日本の教会が公表している平均教会員数は30人ですので、7800X30=約23万4千人。日本の総人口12600万人中23万4千人は、全体の0.2%以下です。

  確率上、全体から認知される最低限の数字は3%と言われています。つまり、日本のクリスチャン人口が、全体からその存在を認知されるに至るためには、現在日本にいるクリスチャンの数が、およそ20倍に増加しなければなりません。

  「一千万人救霊」のスローガンが叫ばれて久しいですが、もし、この計画を本当に実現に至らせるのであれば、私達は毎年7200の新しい教会を生み出して行く計算になります。しかし、現実には毎年およそ100近い教会が日本から消えているのです。

  1950-60年代、世界から日本に派遣された宣教師達の働きによって、日本の教会数は約2000から5000に飛躍的に急増し、それ以降、日本のクリスチャン人口は僅かながらも増加を続けて来ました。しかし、その数は1999年を境に少しずつ減少し始めています。

  また、多くの日本の教団は、教会数よりも牧師・伝道師の数の方が多いという、欧米の教会にはほとんど例のない日本特有の現状が存在しています。これは、貴重な献金が宣教よりも、教団・教会運営のために使われていることを意味します。

  日本全国にあるプロテスタント教会の情報収集を専門に行っているICS(教会インフォメーションサービス)が2006年2月に発表したのデータでは、一年間に10人以上の受洗者を出している教会は全体の1.8%で、年間受洗者が一人もいなかった教会は65%以上にも上っています。

  日本のクリスチャン寿命は平均3年半。つまり、洗礼を受ける、受けないに係わらず、折角教会に導かれていながら、多くの人はおよそ3年半の間に教会を去ってしまいます。また、洗礼を受けた人が、その教会の教会員として、信仰を持ち続ける人は、僅か5人に一人です。

  このように、日本の教会の9割近くが、組織的にも金銭的にも、宣教力が著しく低下しているのが現状です。事実、日本における年間受洗者数を生み出しているのは、全体の僅か5%のアクティブな教会の働きに集中しています。

  そして、現在日本は、世界の宣教派遣組織の対象から外されているという現実があります。何故なら、日本に宣教師を1人送る費用で、アフリカ、南米、東南アジア諸国なら5人派遣することが出来るからです。

  このような現状から明白に言えることは、今や日本宣教は、是が非でも私達日本人の手で成さなければならないと言うこと。そして、今まで日本の教会が行って来た従来の伝道方法をただ続けていたのではダメだということです。

  教派・教団の主義主張であるとか、開拓伝道が効率的であるか否かとかを論議する以前に、私達は現実に一つでも多くのセル教会をつくって行く以外に方法はありません。

  日本宣教の最前線におられるのは、他ならぬイエス・キリストです。しかし主は、私達を超えて事を成そうとはされません。

  私達は私達の分を果たさなければならないのす。今までのProduct-Out方式(生産者主導型)から、Product-In方式(消費者主導型)に方向性を転換させ、今迄とは全く違う斬新なアプローチを主に祈り願い求め、それを実行して行く必要があります。また、海外で福音を知る人と、ゴスペルから福音を知る人が、これからの日本宣教における有力なきっかけとなるでしょう。

  「信徒の神学」、「宣教の神学」の著者であり、世界宣教に大きな貢献をもたらしたオランダ・レイデン大学教授、ヘンドリー・クレーマー博士が訪日された際、彼は日本の教会の現状に対し、以下のようなコメントを残されています。この博士の見解は、現代日本における宣教に対する問題点が、実に見事に浮き彫りにされています。私達はもう一度、この苦言を真摯に受け止め、それを打破して行く義務があるのです。

◆クレーマー博士による日本の教会に対する提言

  2ヶ月間にわたる日本滞在の最後の瞬間を迎えるにあたり、ここで時間が制限されていることを、私はとても残念に思う。ここでは相互に話し合う余裕もないし、諸君がこれから私が語ることに全く同感してくれたとしても、私が日本から去ってしまえば、取り立てて何事も起こらず、今迄通りの生活が再び繰り返されることになるのだろうか。これでは全く絶望と言うより他はないのだ。

  諸君は日本の教会の長所や短所について、私に語って欲しいと言われるが、ここで本気で語り始めたら、おそらく諸君は真夜中になっても、家に帰れないことになってしまうだろう。そこで、今どうしても話しておかなければならないことだけを、思い切って申し上げよう。皆さん、どうか寛容を持って聞いていただきたい。

  先ず、結論から述べる。日本の教会、つまり諸君の教会は、かつて西洋の宣教師から与えられた固定概念や型にあまりに固執し過ぎている。しかも、このような過去ノイメージを、諸君は聖なるもの、犯すべからざるもの、変更など全く思いもよらねものと考えている。これは、驚くべきことだ。だから、日本の教会は、他に宣教しようとしていながら、一般からは自己中心的、閉鎖的行き方をしていると見られているのである。

  たとえば諸君は、教会と言えば制度化された教会が唯一の模範と思っているらしい。教会とは会堂と牧師がいるものだという考えに、諸君は惑わされているのではないか。だが、このような固定観念は教会の真の生命を抹殺し、その進歩を圧死させてしまうものだ。この固執こそが、諸君は西欧世界とは異なった日本において、壁にぶつかる原因なのである。

  ほんの僅かの信徒しかいないのに教会堂を持ち、専任牧師がいると考え、そこから申し訳程度の謝儀が生まれる。要するに諸君の間には、あの原始教会に見られるような、聖書的な自由闊達さがないのだ。諸君は言う。日本のキリスト者は少数であると。しかし、もし諸君が自己革新的なキリスト者であれば、人数は問題ではないはずだ。

  キリスト者とは、少数にひるまず、多数を誇らず、ひたすた真実な信仰によって、預言者的に生きる者ではないか。諸君の間では、教会生活と日常生活とが分離しているように見えるが、これは大きな誤解だ。教会は日常生活の只中にあってこそ、生きて行くべきものなのだ。

  また、日本の教会は世界の諸教会との連帯感が極めて薄い。世界の教会との一体感が、日本のような非キリスト教国において、それがどれだけ重要な意味を持つことであるか、私は日本滞在中、繰り返し強調し続けたが、日本の牧師や信徒達は、それに対して全く無理解であり、恐ろしいほど無知であった。何故、日本のキリスト者は、同信の友と教派を超えて交わろうとしないのか。人口の1%にも満たない日本のキリスト者達が、互いに無知で疎遠であり、場合によっては、内輪喧嘩をしているとはいったいどういうことか!?

  このような現状を露呈しながら、現代日本に伝道しようなどと考えているとするならば、諸君、目を覚ましたまえ!それは正に狂気の沙汰ではないか。せいぜい20-30万人しかいない日本のプロテスタントのキリスト者が、小ぎれいに分裂したまま、それぞれの分派活動に専心している一方、宣教師達が外国からの資金で、せっせと別な教会をこしらえている。この図は正に奇妙キテレツと言わざるを得ない。いや、具の骨頂ではないか!

  私は嘘のつけない男だから、見たままをはっきりと言う。こんな状態で各自がこじんまりと自己満足的な仕事をしながら、現代日本に宣教しよう、あるいは、しているなどと考えること。それに対して諸君は、憤激の抗議をしたことは一度もないのか? 信仰さえあれば、何でも出来ると言った子供っぽい考え方は捨てたまえ。私には、このような日本の教会がバラバラな状態で、伝道が進歩するとは、到底本気では考えられないのだ。

  伝道とは何か? もう一度諸君に考え直してもらいたい。日本を旅行して気付いたことだが、日本の教会は、伝道といえば直接伝道としか考えていないようである。私はこの誤解を訂正したい。伝道には教会での説教を中心とする直接伝道と、信徒達のライフスタイルを基盤とする間接伝道とがある。今の日本の現状においては、直接伝道よりも、間接伝道が特に必要であると思われる。

  つまり、日本のように経済的、文化的に高度に開かれた国においては、西洋諸国における伝道方法、例えば、鳴り物入りのキャンペーン型の伝道が日本で大きな効果が得られるとは、私には到底思えない。諸君は先進国の住民であり、未開国に住んでいるわけではない。文化的且つ知的な環境の中で生活しているのだ。自分自身が生活している社会的風土を誤解しないでくれたまえ。

  諸君は、日本において最高の知性を備えられた方々である。諸君はキリストの御用を務めるための、真に得がたい宝だ。いったい教派・教団とか言うことなど、もはや第二次的なことではないか。大切なことは、「キリストの御名がこの日本で崇められること」この一点のみである。

  私はここにいる諸君に繰り返し伝えたい。現代日本は、全キリスト教会の一致した証言を期待しているのであって、その分裂した叫び声を聞こうとしているのではない。日本を心から愛する一介のオランダ人として、私は心の底から、このことを諸君に涙ながらに訴えたい。(1961年2月20日発行 日本基督教団宣教研究所「革新される教会」から抜粋)














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