Cell教会の成長プロセス


■子達よ、わたしがあなた方に書いているのは、イエスの名によってあなた方の罪が赦されているからである。父達よ、わたしがあなた方に書いているのは、あなた方が、初めから存在なさる方を知っているからである。若者達よ、わたしがあなた方に書いているのは、あなた方が悪い者に打ち勝ったからである。子供たちよ、わたしがあなた方に書いているのは、あなた方が御父を知っているからである。父達よ、わたしがあなた方に書いているのは、あなた方が初めから存在なさる方を知っているからである。若者達よ、わたしがあなた方に書いているのは、あなた方が強く、神の言葉があなた方の内にいつもあり、あなた方が悪い者に打ち勝ったからである。(Tヨハネ2:12-14)

この御言葉にある子供達とは、罪が赦されたことを確信したプロセスの中にいる人であり、若い者達とは、霊的な戦いの中で勝利を体験するというプロセスにいる人達のことです。彼等は御言葉を心に蓄え、内なる人が強くされるという生活経験をしています。最後の父達とは、幼子をキリストにあって育てた経験を持ち、子供を生み、育てられる人のことを指します。彼等は体験的に主の御心を絶えず求め、理解することが出来る人達です。

教会が人を育てる時、個人のアイデンティティの確立、つまり、その人の心が解放されていないまま、神への従順を求めるなら、本人は自分が思うように神に従えないことで悩み始めることになります。Cell教会は、単なる教会のグループ化ではなく、個々のCellの中にDNA(核)を注入することにあります。DNAとは信徒一人一人の成熟です。主は私達が救われた後、子供、若者、そして父へと成熟することを願っておられます。その成長は、信徒同士が共に光の中を歩むことによって、はじめて可能となるのです。

透明な組織作りに必要なのは、人を警戒する必要のない環境です。そのためには先ず、個人の解放が前提条件となります。事実、霊的な解放を受けない限り、人は神に近づくことも、人に近づくこともできません。つまり、真の意味での礼拝ができず、当然、生き生きとしたクリスチャン生活も望めず、教会全体の雰囲気さえも暗くなってしまいます。

初代教会の臨在と力の元は、信徒間の透明な交わりとコミュニティにありました。彼らは交わりの中で、互に自分の罪を言い表わしていたのです。そのように、私達にもお互いに告白し合える透明な関係が必要です。三位一体とは父、母、子が一体となったバランスの取れたコミュニティの神です。キリスト者には本音で話し合える仲間が、必要不可欠なのです。

魂の解放を受けると心が安定し、神との交わりを自然に持つことが出来るようになります。魂の解放は、時間と経験を超えて人を霊的に目覚めさせ、瞬時に個人の生活を変えてしまう力を持っているからです。

変えられた人は、日常生活の中で主について普通に話したり、証ししたりすることが、自然に出来きますので、彼等は友達作りと伝道を特に区別をしたりしません。そうしますと、未信者にとってもクリスチャンのイメージを受け取りやすくなり、自然体ですので警戒もされなくなります。

宣教を日常生活と分けてしまいますと、相手にいつ伝道し出すのだろうかと警戒されてしまいます。福音を最後に語ろうとすると、自分に近づいてきたのは、やはり布教が目的だったのかと思われてしまうからです。また、後から特別に語ろうとすると、生活としての生きた福音でなく、何か特定な宗教的な教えとして、相手が感じてしまいます。宣教を大上段から構えて行うと、クリスチャンは悪い人ではないかも知れないが、融通が聞かない真面目人間ぐらいの評価で終わってしまうケースが現実的に多いのです。

◆教会の3つの目的
1)神を愛し(礼拝)
2)自分を愛し(主の家族との交わり)
3)隣人を愛する(宣教と奉仕)


◆初代教会の3つの土台
1)環境:イエスが弟子達との小さなサイズでの交わりの中で教えたライフスタイル。そこにでは互いに裸になり、罪や弱さを分かち合える環境があった。

2)教育:山上の垂訓を中心とする新約聖書全体を貫く福音に対する正しい理解。

3)聖霊:イエスは弟子の訓練後、十字架の愛を体験させ、ペンテコステの日を迎えた。


◆成長の3プロセス
1) キリスト者としてのアイデンティティの確立
2) 主との親密な関係を保ち、御声に聞き従う生活
3) 生きる目的とビジョンを明確にする

◆万人祭司実現に必要な3要素
1) 一人一人が神を体験し、心が解放されている。
2) 牧師サイドで、平らなリーダーシップを追い求める。
3) 一人一人が自らリーダーであることを自覚し、責任感を持つ。

◆教会成長のための3ステップ
召し:互いの賜物を用いつつ、宣教のために仲間とCell教会を起こす。(Cell)
解放:心が解放され、傷が癒され、過去の罪の束縛から自由になる。(聖霊)
従順:解放されると伝道したい気持ちが自然に湧き、自ら従うべき真理を発見する(教え)

◆交わりの3原則
時間:愛を育むには時間が必要であり、時間の経過の中で人は成長していきます。成熟した人は、自分より人の必要を優先してあげられる忍耐を持っています。コミュニケーションは、先ずその人のために自分の時間を使うところからスタートします。

交流:話し上手より聴き上手。「誉め」、「励まし」、「詫び」、「礼を言う」。人間関係における問題は、これで8割以上は解決します。また、人が人から受ける印象の割合は、言葉=07%、聴覚=38%、視覚=55%です。つまり、「何を言うか」と同様に「どう言うか」にも心を配る必要があります。

受容:「主の愛を分かってほしい!」ここにあなたの誠実さがあるのですが、実際には中々理解してもらえません。人は相手が自分と反する態度に出ると、いつの間にか心に人を裁く思いが出てきます。しかし、「相手が思い通りにならない」と考えるのは傲慢以外のなにものでもありません。先ず、相手は自分とは違う人間なのだということをわきまえ知る。この理解があらゆる良いコミュニケーションを築くための基盤となります。

◆礼拝の基本姿勢

■兄弟達、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生ける生贄として献げなさい。これこそ、あなたがたの成すべき礼拝です。(ローマ12:1)

クリスチャンは神の臨在の中にあって、何時でも何処でも、自由に礼拝することが出来る特権を持っています。主は教会堂だけではなく、家にも、職場にも、車の中にも、お店の中にもどこにでもおられるのです。主はキリストにある全ての者を祭司とされました。つまり、誰もが主の御声を直接主から頂くことが出来るのです。主は日曜日に1度、礼拝堂にだけ現れているのではありません。これは単純なことですが、とても重要なポイントです。

祈りの生活には、「御心を知る」と「御旨を行なう」という2つのパートに分かれます。主の御心を知るため、ある人はディボーションが全てと主張し、またある人は断食祈祷だと言います。注意すべきことは、人の意見に振り回されないで、本質から離れないことです。その本質とは礼拝を通して、十字架の恵みにより、神の臨在の中に入ること。ディボーションをしても、断食祈祷をしても、聖書通読をしても、礼拝を通して神の臨在の中に入るということを自分のものにしていなければ、決して主の御声を聞くことはできません。

神との深い関係に入るため、また、御心を聞いて行なう生活に入るために必要なことは、先ず、神と自分との礼拝を確立することにあります。私達は神の臨在の中で、神を深く知り、神の御声を聞き、神から啓示を受け、癒しと解放を体験し、平安を体験し、信仰、知恵、喜び、アイディアを受けます。

実に聖書の神は語る神です。問題は、神が語っているか否かではなく、私達が聞いているか否かにありまする。私達は日々聖書を読み、また学んでいるのですが、聖書は単なる知識や教養書なのではなく、今も生きておられる主から私達へのメッセージです。私達が抱えている生きる上での様々な問題や、自分の生き方について真剣に祈り求める時、主は必ずその問いに対して、私達が今成すべきこと、悟るべきことを知らせてくださいます。

ディボーションや祈りの時以外でも、主と会話しながら生活し、主を日々体験し、日々の証しを持つ。毎日主に助けられて生きているのなら、自分に起きていることを自然に証しすれば良いのです。そうすれば、自然界や人間社会から神の創造の業を悟り、祈りの応答に対して、その感動を素直に豊かに表現出来る人となることが出来るのです。













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